父の命日(前日)に分かったこと
明日の父の命日に合わせ、今日お墓参りに行ってきた。
今思うと、父が亡くなってから、なんとなく義務感のような感じで毎年お参りしていたなぁと。
私の母は私が5歳の時に病気で他界し、私は幼い頃から施設で育った。
小4の時に後妻となる母がやってきたが、1年に数回顔を合わせるくらいのドライな関係というか、いわゆる「親子」とはちょっと違った関係だったように思う。
大人になり、父がアル中になってからは会ったり、話す機会も増えたが、あまり突っ込んだ話はお互い避けていたように思う。
2009年、父は自分の誕生日に亡くなった。
私が韓国旅行中だった。
兄からの電話で知ったが、葬儀まで全部済ませておくから納骨に合わせて来ればいいとのことで、私は予定通り旅行スケジュールを変更せず、父の最期の姿も見ることなく、再開したのは納骨の日となった。
そんなこんなで、私は父の最期にも立ち会う事なく、葬儀はもちろん、納骨までの流れを知る由もなく、13回忌を迎える今年まで、父の死後について深く考える事もなかった。
そして、父が亡くなってからは母ともあまり連絡を取り合う事もなくなっていった。
(と言うか、兄に言われたある一言で、母とコンタクトを取りにくくなっていたのだ)
しかし、今回はなんか違った感じが自分の中にあった。
父はあるお寺の永代供養墓に眠っているのだが、「お父さんは、今でもあのお墓に本当にいるのだろうか…?」と、これまで考えてもいなかった疑問が生まれたのだ。
そこで、父のお墓に出かける直前に母に久しぶりにメールをしてみた。
すぐには返信がなく、とりあえず私は父のお墓に向けて出発した。
そしていつものように、永代供養墓の前でお線香に火をつけ、買っていったお酒と大福を置き、手を合わせた🙏(心の中でね💦)
「お父さんは本当にここにいるの?」
と聞いてみたが、もちろん返事はない。
お参りを終え帰ろうと思ったが、なんだかとても気になっていた私は、お寺の事務所に顔を出し、中にいた女性に声をかけ聞いてみた。
すると、お寺の方がやってきて、名前を聞かれ資料を持ってきて、父のことを探してくれた。
「はい。たしかにお預かりしていますよ。20年でお申し込みされているので、あと8年はここに眠っておられますのでご安心ください。」
よかった、父はここにいるんだ…。
そして、お寺の方が
「せっかくお越しになったなら、お父様のご遺骨をお出ししますので、お参りされますか?」と聞いてくれた。
「えっ!そんなことができるんですか??」
思わず聞いてしまった。
そして、そのお墓の横にあった扉のカギを開け、父の骨壷を出してきてくれた。
初めてみた父の名前の入った骨壷。
父の存在を強く感じた。
もっと早く知れていればよかった…
と、一瞬後悔しそうになったが、いやいや待てよ。
12年も経ったいま、これを知る事になったと言うのにも何か意味があるのだろう。
そんな風に思えた。
私は、今年に入ってから自分のお墓探しを始めた。
最初に見学に行ったお墓で、「永代供養墓を選択した場合、その場所に入っていられる期間が決まっていて、その期間になると合祀となりお骨を粉砕して土にかえす。」と言う話を聞いていた。
だから、「父が今もここにいるのか?」と言うことが妙に気になったのだろう。
その意識で、お寺に行ったから「聞いてみる」と言う行動になった。
13回忌を迎える今年まで、なんとなく…でお参りしていたが、父があと8年ここにいると言うことがわかったので、次からも父には出てきてもらってお参りしようと思った。
お寺を出た頃に、母からの返信もあり、母に対して疑問に思っていた事も聞くことができて、なんだか長い時間はかかったが、父の命日を前にいろいろなことがすっきりとしてよかった。
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