いまの私がピアカンに思うこと
私は24歳の時に施設(病院)生活にピリオドを打ち、地域で自立生活を始めました。
その一年くらい前に「ピア・カウンセリング」と言うものに出会ったのです。
「ピア・カウンセリング」(以降、ピアカンと言う)とは.障害のある人同士が対等な関係に立ち、ルールに基づいたセッションと言う方法を用いて、決められた時間の中で、カウンセラー役とクライアント役の両方務め、ディスチャージ(感情の解放)を通して、自分の問題や課題をクリアーにし、本来の自分を取り戻していく…
…ざっくり説明するとそんな感じ。
「障害者のエンパワメント」にとても有効な手法として、自立生活を実践する人たちが取り組んできたもの。
私も21年前、ピアカンと言う手法に助けられ、自立生活を決意できたし、実践することもできたし、自立後はそれを「仕事」にもすることもできた。
私の人生において、ピアカンはとっても役立った。
なくてはならないものだったのは確かなんだ。
…でもね
…でもね
21年経った今、私の中には明らかな「違和感」があるのも事実なんだよね。
そこに気づいてしまったんだよね。
でも、どんな違和感なのか、なかなか言語化出来なくて
ピアカンの講座リーダー依頼があると
やっぱり「応えたい私」がいて…
そつなく講座を行なって
でも、やっぱり違和感は増していく…
時代が変わって、障害がある人が置かれている環境が変わってきたのもあるけれど
ピアカンの手法で、一定の自己信頼感や自己受容感は得られても、その次の行動に移す、大きな一歩を踏むには何か足りない気がしていたんだよね。
そんなモヤモヤが確信に変わったのは、1年ちょっと前に、ライフコーチをつけた事。そして、「オワマルライフサポーター養成講座」を受けたことが大きかった。
ピアカンのセッションだけでは、前に進めなかった私が、ライフコーチとOLSの同期の仲間と、とことん自分に向き合い、自分を知り、認め、許す…。
どんな自分にもひたすら◯を付けていく作業を何度も、何度も繰り返していくことによって、本当の意味で「自分とつながる」ことができた。
そうしたら、私は一気に前に進むことができたんだよね。
自分が本当に望む未来に進むことができた。
もちろんまだまだ道の途中だけど。
でもね、ライフコーチとのセッションも、OLS養成講座で取り組んだことも、内容的(考え方とか、目的とか)にはピアカンとほとんど変わらないんだよね。
やり方は違うけど、伝えたいことは一緒なんだよ。
だから、ピアカンの素晴らしいところと、オワマルの理論(マルつけ概念)をうまく融合させていったら、もっといいライフサポートができるんじゃないかなって思ってるの。
どんなふうにやったらいいかは、これから私が色々と体験していきながら生み出していきたいから、少し時間がかかるかもしれないけど。
でも、なんかできそうな気がするの。
あくまでも私の感覚だけどね。
だから、やっとこうして言語化してみようと思った。
もう、ピアカンリーダーには呼ばれないかもしれないし、(むしろ、もう講座はできないだろうな)
ずっと一緒にピアカンをやってきた仲間にどう思われるのか怖いし、嫌われるのも怖くて、すごーく迷ったんだけど
やっぱり自分の感覚を大切にしたいから
こうしてブログに綴ってみました。
長文、最後まで読んでくれてありがとうございました😊
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